アムステルダムはいかにして資本主義を発明したか
アムステルダムはいかにして資本主義を発明したか
アムステルダムはいかにして資本主義を発明したか
- 約400年前、アムステルダムという小さな村が世界進出を始め、現在の資本主義の原型を作り、ヨーロッパで最も豊かな都市となった。
- オランダ人の間には「誰でもこの巨大な経済活動に参加できる」という共通意識があった。
- その後100年でライバル都市ロンドンが台頭し、世界の中心都市となる。
- 一方、ニューアムステルダム(後のニューヨーク)は英国に支配されていたが独立し、垂直都市として新しい都市像を創り出した。
- しかしアムステルダムには、今日の資本主義・世界貿易・グローバル都市の始まりという特別な歴史的意味がある。
- 1594年、人口3万人に満たない小都市アムステルダムの中心で10人の男が集まり、ポルトガルが独占していたアジア貿易への挑戦を議論した。
- 彼らは木材、塩、ニシンなどの商人で、すでに一定の資本を持っていたが、利益率の高い香辛料貿易から締め出されていた。
- ポルトガルはアジア各地に交易拠点を持ち、強固な独占体制を築いていたため、これを崩すことが目的だった。
- アントウェルペンがスペイン王フィリップ2世の迫害により没落し、多くの有能な商人がアムステルダムに逃れてきたことで、人材・資本・技術が集結した。
- 亡命商人たちは地図職人と共にアジア航路計画を立て、最初の遠征会社を設立。
- コルネリス・デ・ハウトマンをリーダーに3隻の大船団が出発したが、航海は病気と反乱で悲惨を極めた。
- 1597年、約2年後にアムステルダムへ帰還したが、船員たちは骨と皮となり、香辛料はわずかだった。
- しかし商人たちは「ポルトガルの独占を破った」という成功を確信し、これが本格的なアジア貿易の幕開けとなった。
- ちょうど同時期、コルネリス・コルネリスゾーンが「風車による木材大量切削(クランク軸の発明)」を実現し、船の大量生産が可能となった。
- これによりアムステルダムはヨーロッパ最大の造船拠点となり、巨大な商船を次々と建造できるようになった。
- その後5年間で75隻がアジアへ向かい、莫大な利益をもたらし、オランダは黄金時代に突入。
- しかし複数の会社が競争したため、価格高騰や対スペイン・ポルトガル防衛の必要性が生じ、統合が必要になった。
- 1602年、世界初の株式会社「オランダ東インド会社(VOC)」が設立。
- 1,143人の市民が株を購入し、職人から家事労働者まで幅広い階層が参加。
- ここが「現代資本主義の誕生」と言われる瞬間である。