運は180年周期だそうです。2025年から180年差し引くと1845年です。それでは1845年はどういう年だったでしょう。
これから20年は情報の時代だそうです。1845年から20年間をみれば今後の運がわかるでしょう。
1845年・日本国内の主な出来事と経済状況
🏛【政治面】老中交代と改革の方向転換
🔸 阿部正弘の老中就任(1845年)
-
前任の水野忠邦の「天保の改革」は失敗に終わり、幕府内の混乱が続いていた
-
1845年、阿部正弘が老中に就任し、比較的柔軟な政治姿勢をとり始める
-
洋学者の登用、異国船対策の検討など
-
将来的にペリー来航への対応や、「人材登用」路線の起点となる
-
📉【経済面】混乱と不況が続く時期
🔸 天保の大飢饉(1833〜1839年)の影響がまだ続く
-
農業生産が低下 → 米価が不安定に
-
百姓一揆や打ちこわしが1840年代にも各地で散発的に発生
🔸 改鋳による貨幣混乱の余波
-
1837年に行われた**貨幣の改鋳(天保通宝など)**が庶民の信用を失う
-
金・銀の含有量が下がり、「インフレ的」傾向に
-
商人層にとっては資産保全が難しく、信用取引に影響
🔸 商業の構造的停滞
-
江戸・大坂などの都市商人の活動は依然活発だったが、 藩の財政難・武士の借金問題が商業活動の足を引っ張る
-
多くの藩が借金返済に苦しみ、紙幣の濫発(藩札)や領民への重税が問題化
🔸 農村の崩壊と「農村離脱」
-
小作農の困窮 → 村を出て都市へ流れる農民が増加
-
浪人や職のない町人が増え、都市の治安や生活困窮層の増大へとつながる
🛳【外交・軍事面】外国船の接近と「海防意識」の高まり
-
1845年前後、アメリカやイギリスの捕鯨船・商船が頻繁に来航
-
幕府は「異国船打払令」を一部緩和しつつ、対応を協議
-
「海防論」が盛り上がる
-
渡辺崋山、高野長英などの学者による**「洋学・軍事技術」への関心**
-
蘭学の学者や砲術家(高島秋帆など)が台頭
-
📚【社会・文化面】
🔸 洋学・蘭学が武士や学者の間で広がる
-
幕府は蘭書の翻訳や医学・兵学の研究を一部容認
-
阿部正弘の登場により、後の**「幕府直轄の洋学研究機関」**設置が始まる(後の蕃書調所)
🔸 庶民文化・出版文化も活発
-
錦絵・読本(よみほん)・滑稽本などが江戸・京阪で流行
-
貧困や格差の風刺・批判も含まれたものが多い(洒落本・草双紙など)
🧾【1845年当時の経済に関するまとめ表】
項目 | 状況 |
---|---|
農業 | 飢饉の影響残る。米価は高騰傾向 |
商業 | 藩や武士の信用低下、商業活動に影響 |
貨幣 | 改鋳の影響で通貨信用が低下 |
外交 | 捕鯨船来航で海外意識が高まり始める |
雇用 | 農村の崩壊→都市へ人口流入、失業層増加 |
📝豆知識:江戸時代末期の「副業経済」
-
農村では、農業だけでは食べていけない家庭が増え、 機織り・紙すき・木工品づくりなどの内職が広がる
-
江戸の町人や農民の間では、「内職的な商売」が現代の副業のような役割を果たしていた
✅まとめ:1845年の日本経済のキーワード
-
🔻 飢饉後の不況と農村の疲弊
-
🔻 幕府・諸藩の財政悪化と貨幣不安
-
⚠️ 外国勢力の接近による海防準備
-
🔺 蘭学・洋学による新技術や思想の萌芽